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易とは

易とは

もともとは、占いの書。結果を先に見せてくれるもの。
経典としては処世の教訓として読まれる。

広辞苑6版の周易の説明では、
中国古代、伏羲(ふっき)氏の画した卦(か・け)について周の文王がその総説をなして卦辞(かじ)といい、 周公がこれの六爻(りくこう)について細説して爻辞といい、孔子がこれに深奥な原理を付して十翼を作ったとされる。 実際は古代の占術を儒家がとり入れて経書としたもの。その理論は、陰・陽二元をもって天地間の万象を説明する。 陰・陽は老陽(夏)・少陽(春)・少陰(秋)・老陰(冬)の四象となり、 更に乾(けん)・兌(だ)・離・震・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)の八卦となり、 八卦を互いに相重ねて六十四卦を生ずるとなし、 これを自然現象・家族関係・方位・徳目などに当て、哲学上・倫理上・政治上の説明・解釈を加えたもの。 周代に大成されたから周易という。 今日の易学はこれを祖述したもの。易経。
とされている。

五経のひとつ

易は五経のひとつ。五経は5つの経典。
前漢の武帝の時代、儒教を国教とした。「漢志」では易経、尚書、詩、礼、春秋をあげて易を首(はじめ)にあげている。
唐の時代から、易経・書経(尚書)・詩経・礼記・春秋(左氏伝)を五経とした。
宋の朱子は大学、論語、孟子、中庸を四書として、五経と配して、四書五経を儒教の経典とした。

易経の成立 伏羲 周公 孔子

易道は深し。人は三聖を経、世は三古をへたり。「漢書」
易は3人の聖人(伏羲 文王 孔子)を経て完成されたと言われる。
伏羲は古代の帝王で、天地の万象を観察して八卦を作り、さらに八卦を重ねて六十四卦を作った。
周の文王は紀元前十二世紀の実在の王、周王朝の開祖、文王の子周公も名君。周の文王が卦辞を文王の子周公が爻辞を作った。 卦辞爻辞までが易経の本文である。
次に易経には「伝」という解説部分がある。この伝は十編あることから十翼と呼ばれ、孔子が十翼を作った。孔子は紀元前五世紀の人。
伏羲、周公、孔子の3世、悠久の時を経て、易の本文と解説が完成した。本文は、周代に成立したことから、周易という。

易経の構成

易経の構成は、本文と解説からなる。
本文は六十四卦と卦辞、爻辞からなる。 卦辞と爻辞が占いの結果を見せることばである。 卦辞は六十四の卦一つ一つに対する解釈が述べられる。従って卦辞は64ある。
爻辞は、1つの卦を構成する六爻の一つ一つに対する解釈である。 64の卦にそれぞれ6つの爻があるので、爻辞の数も64×6=384と計算されるが、 乾と坤の卦には特別に1つ爻辞が追加されているので、合計386の爻辞がある。
解説部分は十翼といって、彖伝(上、下)、象伝(上、下)、繋辞伝(上、下)、文言伝、説卦伝、序卦伝、雑卦伝の十からなる。 彖伝は卦辞の解説をする。象伝は爻辞と卦辞の解説をする。

陰と陽 八卦の成立

易に太極あり、これより両義を生ず。両義は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。「繋辞上伝」

陰陽分かれる前の太極というものがある。太極とは、陰と陽に分かれるまえの何者か、これは無であるとも、混合体であるとも言われる。 太極は陰と陽の二種類をうむ親のようなものか。 ともかく太極から分かれてて陰と陽が生まれる。陰と陽を2本重ねると4通りの四象となり、 さらに3本重ねると次の8通りのかたち、八つの卦が得られる。陰と陽は重なって四象、卦を意味するようになる。
しかし、陰と陽が混ざったり、合体したりして、太極になるとは考えない。太極から陰と陽が分かれるのは一方的で、陰と陽から太極は作らない。

六十四卦

伏羲は八卦を作り、さらに八卦を重ねて六十四卦を作った。八卦を重ねるということは、 八卦を2つ組み合わせるということ。8×8=64の卦が得られる。2つ重ねの上のほうを、上卦といって、下のほうを下卦という。

    
上卦
坤・地 艮・山 坎・水 巽・風 震・雷 離・火 兌・沢 乾・天下卦
















































































































































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